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夕方の中之島バラ園

Canon EOS Kiss X7 (50mm, f/1.8, 1/50 sec, ISO1600) at 19:30 on 2017/05/26

朝の出勤時。たいていは最寄駅から急行に乗っていくのだが、最近は、一本前の最寄駅始発の各駅停車に乗ることが多い。

最寄駅始発だから、ゆっくり座れて、iPhoneでブログの記事を書いたり、好きなブログの記事をFeedlyでチェックしたりしている。

次の急行停車駅で本来乗るはずだった急行に追いつかれるが、もう1つ先の急行停車駅まで各駅停車に乗る。その駅で急行の一本あとの区間急行に乗り換え、ターミナル駅に向かう。

各駅停車は、始発の最寄駅では空席が結構あるが、進むにつれ、空席は埋まり、立っている人が目立ってくる。

最初の急行停車駅では、空席はすべて埋まり、シートの前には4〜5人立っているような状態。

ある日その駅で、足の不自由な人が乗ってきた。30歳過ぎくらいの若い男性だった。何かスポーツをしていたかのような、たくましい体つきをしていた。

杖をついていたのだが、左腕の肘から先を固定するタイプの杖だった。もしかすると、左半身に麻痺があるのかもしれない。

男性は、ぼくに背を向ける形で、向かいのシートの前に立った。しばらく様子を伺っていたのだが、向かいのシートに座っている人はスマホに目をやって気づかないのか、たくましい男性だから構わないと思ったのか、そもそも関心がないのか、誰も男性に声をかけない。

「トントン」と男性の背中をたたき、「座りますか?」と聞くと、男性は安堵の表情を浮かべ、「ありがとうございます」と答えたので、席を譲った。

ぼくはその駅で急行に乗り換えた。

何も別に自慢話ではない。ぼく自身が、当たり前と感じたから、男性に席を譲った。それだけの話だ。

「ありがとうございます」の言葉をいただいて、ぼくの気持ちは満足している。何も、強者が弱者に対して「してやっている」という意識はない。

当たり前のことを当たり前のようにしただけだ。

それに対して、優先座席の前に立つべきだ、とか、そもそも座れる電車に乗るべきだ、という意見もあろうと思う。

しかし、その男性は優先座席は自分よりもハンディが大きい人が座るべきと考えていたかもしれないし、その各駅停車は男性が最大限努力して乗れる電車だったかもしれない。

その男性の事情はさておき、人は様々な事情を抱えている。

高齢者、妊婦、小さな子ども連れ、そして、ハンディキャップを持った方々。

そういった方々は、もちろん、ご自身の努力を、できる範囲内で、していただかないと、仕方がない部分はある。

しかし、その努力を超えた部分は、社会が支えていかなければならないのではないだろうか?

1999年、阪急電鉄、能勢電鉄が、優先座席の区分を廃止し、全席を優先座席とした。他の電鉄会社が優先座席を設けている中、英断だったと思う。

身体の不自由な方、妊婦の方には、どなた様も席を譲ってください、という考え方だ。

かねてから、優先座席は「差別座席」だと考えていたぼくは、阪急電鉄、能勢電鉄の英断に感動を覚えた。

本来、座席はすべての人のものであって、優先的に座らせてあげるべき人に対して、誰もが代わってあげる、それが本来あるべき姿ではないのか?

その後、2007年に、阪急電鉄と能勢電鉄は、優先座席を再設定してしまった。事情は分からないが、大変残念なことである。

身体の不自由だけではなく、今の社会には弱者がたくさんいる。

例えば、シングルマザー。働きに出なければならないのに、子どもを保育園に預けることができない。自然、子連れで満員電車に乗らなければならないことになるかもしれない。

そういう人たちに、シングルマザーになった人が悪い、とか、満員電車に乗らないようにすればいい、とか、言えますか?

身体の不自由な人から、働く機会を奪いますか?

多くの会社は、9時始業でしょう。その時間に間に合うように出勤しようと思えば、満員電車に乗らざるをえない。

一億総活躍社会

安倍政権がお題目のように唱えだした政策。

お上がいくらそう唱えても、社会が変わらなければ、国民すべてが活躍できる社会は訪れないのではないか?

社会を構成する我々が変わらなければ、社会も変わらないのではないか?

日本に住むすべての人が輝けるにはどうすればいいのか?

そう思いながら、満員電車に揺られていた。

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