人生が終わりかけた年

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泣く子ども

その年、いつもの年と同じように明け、いつもの年と変わらぬように新年を迎えた。春には長男が3歳に、次男が1歳の誕生日を迎えようとしていた。

いつもの年と同じように、朝からつまらない正月番組を見ていた。若手の芸人が冷たい海へ突き落とされ、つまらない笑いを取るというおきまりのオチに辟易しつつも、正月の寒空の下、駆け出しのタレントのお姉さんが白ビキニ姿で次のコーナーの内容が書かれたボードを持って、セクシーなポーズで立っているのをながめていた。

小さな子どもにはふさわしくない番組だと思いつつも、当時1歳の誕生日を迎える前の次男が白ビキニのお姉さんを食い入るように見つめ、お姉さんがフレームアウトすると「お姉さんは?お姉さんは?」と悲しそうに訴えていたのを覚えている。

正月の朝からのつまらない番組はそこそこに、近所の神社にお参りし、その年の家族の安全を祈願した。

いつもの年と何も変わらないスタートだった。まさか、そんな年になるなんて、思いもよらなかった。

親父の体調不良、そして入院

2月になって、うちの両親と嫁さんの両親、4人が九州旅行に出かけた。1週間あまり鹿児島、宮崎を巡ってきたようだ。
温泉三昧、夜は黒豚のしゃぶしゃぶ、うまい芋焼酎。楽しく過ごして大阪へ帰ってきた。

帰阪してしばらくして、父の体調がおかしいことに気がついた。常に乾いたような咳をし、夜になると決まって38℃ほどの熱が出る。熱は朝になると下がるのだが、また夜になると熱が出る。

健康自慢の父だった。今まで大きな病気やケガをしたことがなく、あまり医者にかかったことがない。

おそらくそれが慢心の元だったのだろう。一ヶ月近くたっても症状は治まることなく、ますます酷くなる一方。
さすがの父も周りの声に押されて、いやいや病院へ行くことになった。

診断は、肺炎。そかれもかなり危険な状態だった。おまけに血糖値が400もあり、糖尿病とも診断された。
父の入院生活が始まった。母は父に付きっ切り、ぼくと妻も病院への母の送り迎えや母ができない分の家事を担当することになった。

長男の3度の入院

父が入院してしばらくして、長男が高熱を出した。夜中だったので市の消防本部に電話をして、夜間診療をやっている隣の市の総合病院を紹介してもらった。
クルマを走らせ、妻と3人で病院へ向かった。

夜間診療では簡単な処置しかできなかった。時期的にインフルエンザも疑われたが、当時は今のように簡単に診断できるキットはなかった。

夜間診療の時に翌朝の予約を入れてくれたので、また妻と3人で病院へ向かった。長男の熱は40℃近くあったと思う。8時過ぎに病院に着いて、診察、検査が終わると昼過ぎになっていた。

結果は、肺炎。マイコプラズマによるものが疑われた。因果関係ははっきりしないが、父の肺炎が感染したとも考えられる。即日、入院となった。

入院の準備をするために一旦妻は帰宅した。ぼくは酸素吸入をして点滴の管が繋がれた赤い顔の長男を見つめて、途方に暮れていた。

父のこと、仕事のこと、私と妻とで交代での長男の看病のこと、そして、自宅に残された次男のこと。

病院の小児科は必ず誰かが付き添わなくてはならなかった。昼間は妻が次男を実家に預けて看護し、夜間は、仕事帰りに病院へ行って、ぼくが泊まりで看護した。病室のベッドの横には、仮眠用の簡易ベッドが用意されていた。朝起きて長男の容体を確認し、妻が乗ってきたクルマで仕事先へ向かうのだ。

長男は2週間ほどで退院できた。父も同じ時期に退院できた。ようやく平静を取り戻したかと思われた我が家に、また災難がやってきた。

長男が再び入院したのだ。

体内に病原菌が残っていたのだろう。体調を崩したところにまた悪さを始めたようだ。

前回の入院が3月。そしてまた5月。
眠れない仮設ベッドで夜を過ごし、仕事に行く毎日。妻も長男の看護と次男の世話でいっぱいいっぱい。
いったい我が家はどうなるのか。

結局、長男の入院はその年、3回。見えないところで我が家に疲労がたまっていた。

妻の入院

この時ばかりは、もうダメだと思った。過労で妻が入院してしまったのだ。

私も仕事が忙しく、妻のケアまで、正直なところ、手が回らなかった。
妻の入院中、子どもは母に預けて会社に行き、帰りに病院へ行って妻を見舞い、自宅に帰って洗濯、という毎日。

今度はぼくが過労で倒れそうだ…

幸いにして妻は1週間ほどで退院してきた。その安堵感でぼくはへたり込んでしまった。退院したと言っても妻の体調はまだ万全ではない。へたり込んでしまったぼくは、もう、何もかもできなくなってしまって、妻に負担をかけてしまった。

家族の危機を乗り越えた?

今だから笑って話すことができる。あの時は大変だったねー、と。

でも、その当時の家族は必死だった。
睡眠不足を気遣ってくれた妻の両親が次男を数日預かってくれたり、お泊まりなんかしたこたもない次男も我慢しておじいちゃん、おばあちゃんの家に泊まってくれた。

ホントはぼくはくじけていた。もう人生終わりだと思った。というより、もう人生終わらせたいと真剣に思った。こんなに辛いことから早く逃げだしたい、逃げることができるのであれば、人生が終わってもいいと思った。

だが、家族の危機をなんとかみんなで乗り越えた。ぼくと妻の両親が近くにいたというラッキーもあったかもしれない。

一番は、やはり長男と次男。この2人の存在が一番大きかった。この2人をどうにか守らなければという思いで乗り越えた。妻も同じ気持ちだったと思う。

子育てをする間に、もうダメ、もうムリと思うことが多々ある。投げ出してしまうことは簡単にできるかもしれない。でも、きっと乗り越えることができて、何年も経つと、「あんな事もあったね」と笑って話す事ができるはず。

もうかれこれ15年も昔の話。
今なら笑って話せる話。

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