寛容と非寛容の狭間 #ぶろぐのぶ

寛容と非寛容
みなさんこんにちは。毎月、ぺこさん(@harapekokazoku )と交互にお題を出し合って記事を書き、お互いの感性の違いを楽しもうという趣旨の「ぶろぐのぶ」。今月のお題はわたくしさかのうえのまろ(@sakanoueno_maro)が出題した 「鎮」「魂」「憎」です。

さて、参りましょうか?

憎しみ合う魂に血塗られた世紀の始まり

2001年9月11日、現地時間の朝、ニューヨークの 世界貿易センタービル・ツインタワーに2機の航空機が激突し、ビルは崩壊、2749人もの犠牲者を出すという、史上稀に見る大惨事が起きました。

日本では、NHKの夜9時のニュースが放映されていた時間帯。ちょうど仕事から帰宅してテレビを見ると、ツインタワーの北棟から猛炎と猛煙が吹き出し、明らかに異常事態が起きていることは明白でした。

その直後、南棟にも航空機が激突する様子がテレビに映り、これは単なる航空機事故ではなく、明らかに人為的に仕組まれた「テロ」であることが分かってきました。

2機の航空機は何者かにハイジャックされ、操縦席を奪われて、ツインタワーに激突させられたのです。

実は他にも2機の航空機がハイジャックされ、そのうちの1機は国防総省・ペンタゴンに墜落、もう1機は首都ワシントンに向かっていたところを乗客の抵抗により墜落しました。

冷戦後、唯一の超大国となったアメリカ。そのアメリカを襲った大規模な同時多発テロに戦慄し、始まったばかりの21世紀が、夢のようなバラ色の世紀ではなく、実は憎悪に満ち溢れた血塗られた世紀になるのではないかという悪い予感がしたのです。

その後アメリカは、テロの首謀者が潜伏するアフガニスタンを攻撃、大量破壊兵器を保有するとされたイラクに戦争を仕掛けました。

泥沼化する世界情勢

アメリカが仕掛けたイラク戦争により、フセイン政権は崩壊、民主化の名の下に、新しい国づくりが始まったかのようにみえました。

イラクをはじめとするアラブ諸国の領土は、元々は第二次大戦後に欧米諸国の都合により「線」で他国と区切られた領土。多くの民族が「線」をまたいで存在し、「線」によって分断されました。

その最もたる例が、イスラエル。アラブ系のパレスチナ人が住んでいるところに「線」を引き、ユダヤ人の国であるイスラエルを建国してしまいました。そのために、パレスチナ人とユダヤ人との間に軋轢が起き、幾度となく戦争が起き、いまだにパレスチナ人はイスラエルによって抑圧されたままです。

他のアラブ諸国でも同じ状況でした。

「線」で区切ったために、「線」で囲まれた中に住む多数の民族が主導権を握り、少数派となった民族は抑圧されてきました。

イラクでは、フセイン政権が強権的な政治を推し進めてきたために、少数民族は身動きが取れないように弾圧され、国の奥深くに押し込まれてきたのです。

しかし、フセイン政権が倒れたことによって、そのタガが外れ、民族同士、あるいは宗教同士、同じ宗教でも宗派同士で、あい憎み合い、あい戦うようになり、国は内戦状態になってしまいました。

そのような状況の中で、イスラムの教えを曲解した過激派と呼ばれる一団が勢力を増し、「国」を名乗り、世界各地で無差別なテロを起こすようになりました。
2016年7月に起きた、バングラデシュのダッカ襲撃事件では、日本人も犠牲になったことは記憶に新しいところです。

憎しみあう魂を鎮めることはできないのか?

イスラム過激派によるテロは、無差別な攻撃となり、国家、国民、民族、宗教を問わず、もはや、すべての人間が標的になってしまっています。

元々は、イスラム過激派も敬虔なイスラム教徒であったはず。イスラム教徒が同じイスラム教徒を殺し、殺され傷つけ合う。それは憎しみとなり、さらに殺し合いは続けられます。

イスラム教は、いや、宗教は、他人を殺すことで自らの信念や理念を達成し、利益を得ることを説いているのでしょうか?

神は、そのようなことを教えたもうているのでしょうか?

イスラム教をはじめとする宗教は、本来、寛容でなければならないはずです。宗教の数だけ神が存在し、それぞれの神はその宗教の信者によって崇拝されます。宗教の神に序列があるわけがなく、優劣があるわけでもない。

イスラム教のように偶像崇拝を禁じている宗教もあれば、キリスト教や仏教のように偶像崇拝を認めている宗教もあります。イスラム教やキリスト教は一神教ですが、日本のように万物に神が宿り「八百万神(やおろずのかみ)」がいるところもあります。(日本の場合は宗教か?という議論もありますが)

多くの宗教が「神が人間を作りたもうた」と説いていますが、それは「神話」であって、人間が宗教を、人間が神を作ったことは明白です。

人間が作った「神」を巡って、人間同士が殺しあう。こんな馬鹿げたことがあるのでしょうか?

人間が作った「神」に、序列も優劣も絶対もありません。違う宗教の神であっても、異教徒から異端扱いされることはあってはならないはずです。お互いに尊敬しあい、違いを認めあわなくてはならないはずです。

人間が作った「神」よる殺し合いは、どちらかが最後のひとりになるまで戦い続けなければ終わらないのではないでしょうか?

寛容と非寛容の狭間で

人間は寛容でなければなりません。お互いの違いを認め合い、尊敬しあって生きていかねばなりません。

しかし、世界は「非寛容」に向かっているようです。隣にいる「異なる人」を排除することで、自分たちのテリトリーを守ろうとしているようです。

われわれは、「寛容」と「非寛容」の狭間にいます。このまま「非寛容」に針が振れれれば、ますます生きづらい世界になるでしょう。争いごとは絶えず、お互いの喉元に刃を押し当て、いつでも相手の喉を切り裂くことができるような緊張感でもって生きていかねばならないでしょう。

「寛容」に針が振れれば、お互いの違いを認めあい、お互いに尊敬して生きていくことで、さらに文明は発展し、われわれ人間が憎み合いながら生きていくことはなくなるのではないでしょうか?

WEBのシステムを作ったり保守したりするSE/プログラマというものをしています。

ブログやってますがブロガーではありません。週末WEB随筆家です。
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