自分の息子は本当に自分の子か?~家族のかたち

母親と子ども

何年か前に、父と子の関係や、病院で子どもを取り違えられた家族の話が映画化された。ぼくはあまり映画を見ない人だから、それらの映画に関して言及はしない。

それと、もう何年も前から夫婦別姓の問題も継続して話題になっている。国会での論議は進んでないけど。

「家族」というもののあり方は時代とともに変化し、「これが家族というものだ」という正解もそれぞれで、いろんな形があっていい。



女性と男性

ここでは、夫婦とその間に生まれた子ども、という、おそらくは今の日本でオーソドックスと思われる家族のかたちを考えてみたい。

もちろん、子どもがなくてもいい。養子を育ててもいい。でも今はそういうケースは、いったん外させてもらう。

女性は妊娠すると、身体的にも、精神的にも、大きな変化を迎える。身体的にはホルモンのバランスが変わり、お腹の中に自分自身以外の人間=子どもを抱えることになる。

精神的にも変化する。お腹の子どもを守らないといけないから攻撃的になる人、多少のことでひるんではいけないから鈍感になる人。

男性はどうだろう?
奥さんが妊娠したからといって身体的には何も変化しない。次第に大きくなっていく奥さんのお腹を見て、父親になるんだという自覚を持つ人もいるだろうけど、1人目だったりすると、実感がわかないことの方が多いと思う。

ぼちぼち名前を考えなきゃなぁ、という頃になってもどこか他人事。臨月が近づいて、お腹の中の赤ちゃんがむにょむにょ動いて奥さんのお腹が波打っても、どこか他人事。

女性は妊娠することで「母」になる準備が始まるスイッチが入るのに対して、男性のスイッチはあやふやだ。入ってるのか入ってないのかわからない。

自然に母となる女性

いよいよ生まれる!という段階になっても、男性はどこか他人事。奥さんが痛がっているから病院へ行こか?って感じだと思う。

陣痛室で唸ってる奥さんの腰をさすりながらも、あー眠たい…と思いながら義務感でそこにいる。女性はまさにその時、「母」になる試練を迎えているのに、男性は「大きくなった男の子」でしかない。早く帰って寝たい、とか、ラーメン食いたい!とか、そういうことしか考えていない。

いよいよ出産の時を迎えて、奥さんが分娩室に入っていくと、男性は陣痛室での義務から解放され、少しだけ自由になる。

待合室でぼーっとしたり、喫煙所で缶コーヒー飲みながら一服したり。

その間も奥さんは産みの苦しみに耐え「母」になろうとしている。着実に「母」への階段を一歩ずつ登っているのだ。

父と子の関係

無事に赤ちゃんが生まれて「赤ちゃんですよ〜」って助産師さんに見せられても、へ〜この猿みたいのがぼくの子かよ〜、って、この段階でもまだ他人事。

奥さんと赤ちゃんがしばらく入院して家へ帰ってきて、「人間が1人増えた!」という事実に驚愕し、恐れおののくことでやっと家族が増えたという事実に直面する。

そこでようやく気がつくのだ。この赤ん坊はぼくの子どもかもしれない、と。

月日が経つにつれ、その増えた家族との触れ合いも増え、お互いの信頼関係が増すに連れて、ようやく「父」になる。それまでは「もしかしたら血が繋がっているかもしれないけど、赤ちゃんとぼく」という関係でしかない。

母と子は「肉体関係」。母親は実際に自分のお腹の中から子どもが出てきたことを体験しているから、まぎれもない事実。

でも、父と子は「信頼関係」。子どもは自分の体の中から出てきたわけでないし、奥さんのお腹の中から出てきたから「自分の子どもかも?」と推測するわけで、認定事実、でしかないのよね。

ぼくには3人の息子がいるけど、3人とも見事にぼくに似ているところがあるから、おそらくまぎれもないぼくの子どもであると思ってるよ。

「写真愛好家」兼「週末Web随筆家」。ちっちゃい花を撮ることがめっちゃ大好き。愛機はCanon EOS Kiss X7。50mm単焦点レンズと60mmマクロレンズで小さな花を撮ることに喜びを感じています。 職業はWEBのシステム屋。「まろ」と呼んでいただけるとうれしいです。
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